2011年9月24日土曜日

弁護士の仕事の専門性

今回は、非法律家向けのエントリー。先日ネットサーフィンをしていたら、とあるビジネスパーソンの「弁護士の専門性は医師の専門性に劣る」という趣旨のコメントを発見した。

僕は、親戚の大半が医師という環境で過ごしたため、医師という職業をとても尊敬しているし、その専門性もある程度理解しているつもりだ。また、数回の手術を含むサッカーによる度重なる怪我等で、医師の方々には大変にお世話になってきた。医師が極めて専門的な仕事であることは異論の余地はないと思う。他方で、裁判所・検察庁で研修をし、その後弁護士として働いた(そしてPE投資に活動の場を移した後も様々な場面で弁護士と一緒に仕事をしている)経験から言うと、弁護士という仕事は極めて専門性が要求される仕事だと思う。

思うに、医師の仕事は、使用される専門用語や概念が一般の人には馴染みのないものであることから、専門家としての意見が極めて尊重されやすい。一方で、弁護士の扱う言葉は一般教養である程度理解可能であり、契約書その他の法律文書の文言の背後にある深い意味/考え方は一般の人には理解が困難であるため、弁護士が作成した文書を見ると、「このくらいの文書であれば作成可能だ」と勘違いされやすい。

しかし、弁護士の視点から言わせてもらうと、弁護士ではない人が作成した文書は、文字通り人目でわかるくらい穴だらけである。

日本の制度上、司法試験に合格した者は、法曹資格を得るために、一定期間(以前は2年間、現在は1年間)の司法修習を行う必要がある。同修習において、修習生は、司法試験合格のために習得した法律の知識を、どのように実務に応用するか(一定の法的効果が発生するために必要な具体的事実(いわゆる要件事実)が何か)を徹底的に学ぶ。この要件事実の考え方を習得し、更には一定の実務経験を経てはじめて、法的に効果的な文書を書けるようになる。

法律の素人はもちろん、司法試験合格者や司法書士等、法律に関する知識が(ある程度)ある人であっても、この教育を受けていない人が書いた書面は、一目瞭然である。

実例(1) – 本人訴訟

地方裁判所での研修時代、(僕のみではなく裁判官にとっても)一番厄介だった案件は本人訴訟であった。本人訴訟とは、裁判において、弁護士を付けずに、裁判所に提出する書面の作成、裁判所との手続き上のやり取り等を自ら行う形式の訴訟のことをいう。このような形態の訴訟を認めない(弁護士を付けることを義務付ける)国もあるが(例えばドイツ)、日本ではそれが認められており、簡易裁判所では90%近く、地方裁判所では20%近くが本人訴訟と言われている。簡易裁判所管轄の事件は比較的単純な事件が多いため、大きな問題にはならないが、地方裁判所での訴訟となるとそうはいかない(*1)。研修生の際、本人訴訟の書面を読みつつ、よく首を傾げていたことを思い出す。なお、本人訴訟における書面作成には、実際には、司法書士が関与していることが多いが、書面のクオリティという点では、弁護士作成の書面とは(一般には)雲泥の差がある(言い換えると、一定の法律効果発生に必要な主張が書面上なされていない、あるいは、情報としては十分であっても、整理された形でなされていない)。

実例(2) – クライアントによる契約書コメント

他の実例として、僕が弁護士として働いていたとき、一番対応に手間(そして結果的にクライアントに対する弁護士費用)がかかったのが、法律について十分な知識/実務経験のないクライアント(事業会社の経営企画の人であったり、PEファームの投資プロフェッショナル)が、契約書の文言をいじるときだ。

本人はよかれと思ってやっていると思うのだが、素人が契約書の文言をいじることは、単に、弁護士に(その文言をなるべく維持しようとして)無駄な労力を使わせるだけであって、むしろ大きな非効率の原因となる。契約書に含めたい内容をビジネス用語で説明し、契約書自体の変更は弁護士に委ねるのが賢明な弁護士に対する仕事の頼み方だと強く思う。

この点に関連し、僕は、日本でのPE投資/米国での債権投資の際に、米国/英国の弁護士とも仕事をする機会を多く持ったが、米国/英国の法律実務では、ビジネス上大きな意味をもたない細かい文言については弁護士同士で積極的に交渉を進める等、契約書の交渉については、日本の実務に比して、より弁護士がリードする傾向があるように思われる。


以上、本エントリーでは、弁護士の専門性に関して(多少偏見のある)私見を述べてきたが、僕が伝えたかったのは以下の2点だ。

  • 弁護士の仕事は(教養があると思っている)一般の人々が考えるよりは専門的である
  • 予算を含めた要求をはっきりと伝えた上で、信頼できる弁護士に仕事を委ねることが弁護士への仕事の効果的な依頼方法である


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*1 この点、僕自身、本人訴訟は、弁護士に対するアクセスの悪さや高額な費用が原因となって要請されているものであり、憲法上国民に認められた裁判を受ける権利を実効ならしめるためには(仮にある程度裁判所のコストが増加したとしても)必要な制度だと考えており、リーズナブルな価格で提供されている司法書士のサービスの有用性を否定するものではない。本エントリーはあくまで弁護士の専門性の観点から記載している点に留意されたい。