2012年1月27日金曜日

サッカー少年が歩む異なる人生

「あいつ、ドイツのサッカーチームで仕事しているらしいよ。」

去年、久しぶりに小学校時代の知人から連絡があり、僕の幼馴染が現在ドイツの2部リーグのフォルトゥナ・デュッセルドルフというチームのフロント(日本デスク)に勤務していることを知った。

彼の名前は、瀬田元吾。思えば、僕らは小学校の休み時間や放課後ずっとサッカーボールを蹴っていた。放課後生徒がサッカーをずっとし続けて家に帰らないのに見かねた先生が、放課後のサッカーを禁止したことがあった。そのとき、僕らが「サッカーがだめならラグビーをやろうぜ」といって、より危険なラグビーをして、先生が呆れながらサッカーの禁止を撤回したことがあったのも、今となってはいい笑い話だ。僕らは、通っていた小学校の生徒から構成されたチームでも一緒でプレーしていて、小学校最後の大会で、彼のセンタリングから決めたダイビングヘッドは、20年以上たった今でも、僕の中では最も記憶に残るゴールの一つだ。一緒にプレーするときは、ドリブルでディフェンスを切り裂く彼の姿を見て、自分も負けまいといつも刺激を受けていたことを今でも鮮明に思い出す。

その後、僕達は、異なる私立大学の付属中学に進学した。彼の活躍は知人を介して聞くのみであったが、二人とも、学校の部活でサッカーを続け、中学・高校双方で地区トレセンにも選ばれる等、お互い高みを目指して頑張っていた。

そんな似たような人生を歩んできた二人だったが、大学受験を機に、大きく異なる舵を取ることとなった。より高いレベルでサッカーをすることを望んでいた彼は、サッカーの余り強くない係属の私立大学への内部進学を蹴り、サッカーの名門筑波大学に進学した。他方で、僕は、係属の大学は、国立競技場でライバル校との定期戦もあるサッカーの伝統校の一つであり、中学生の時から国立でのプレーを夢に部活に全力を注いでいたが、自分のサッカーの能力に限界を感じ、急遽受験を決意し、高三の一年間はサッカーを封印し、勉強に集中し、東京大学に合格・進学した。

彼は、筑波大学の卒業後FCホリコシというサッカーチームに加入したものの、2004年に退団。その後は、サッカーの夢をさらに追いかけドイツに渡り、ドイツリーグの下部リーグでプレーした後、現在はドイツリーグ2部で目下首位を走っているフォルトゥナ・デュッセルドルフの日本デスクで勤務している。自分が大好きなサッカーに人生を賭け、プレーヤーとしての道が絶たれても、異国の地ドイツのプロサッカーチームのスタッフという前例のないことに挑戦し続ける彼の意思の強さ・実行力には本当に頭が下がる。

他方で、僕は、大学入学後一度サッカー部に入部したものの、高校時代の熱意を取り戻すことはできず、結局、将来を見据えて、大学及び司法試験の勉強に時間を割くために途中で退部した。そして、在学中に司法試験に合格し、卒業後、大手法律事務所・米系投資ファンドでの勤務の後、2010年夏にスタンフォード・ビジネス・スクールに入学し、今に至る。サッカーは、昔と変わらず人生最大の趣味として、相変わらず草サッカーチームでプレーをしており、Jリーグも海外サッカーも常にチェックしている。


今となっては全く異なる道を歩んでいる二人だが、お互い、自分の目標を最後まで追求し、限界まで挑戦しようという姿勢は、共通しているように思う。それは、負けていても決してあきらめずに、息が切れるまで無邪気にボールを追いかけていた少年時代に培われたものかもしれない。

1部リーグに昇格できるか否かがかかっている2012年は、フォルトゥナというチーム、そして彼自身にとっても極めて重要な一年になろう。是非、昇格を勝ち取って欲しい。


 ↓瀬田元吾のブログはこちら。
http://ameblo.jp/gen56setax/


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